☆2013年6月17日
熊井啓監督(1930年-2007年)と大塚 和(1915年-1990年)
① はじめに
熊井啓監督の代表作の一本である『地の群れ』(えるふプロダクション・ATG提携)は、公開された1970年度の主要な映画賞を数多く受賞して興行的にも成功を収め、父大塚和の代表作の一本ともなった。今後、上映を含め、DVD制作にも努めていきたい。
『地の群れ』は熊井監督のなかでも特にぼくが好きな作品である。演出が傑出していて、鈴木瑞穂、松本典子、宇野重吉、北林谷栄、奈良岡朋子ほか二人の新人の演技もみな光っていて真に迫る。墨谷尚之のカメラによるモノクロ、スタンダードの世界に描き出された映像美はまさに一級のアートだと思う。
父が他界して3年後の1993年、父の郷里である高知で「大塚和祭」をしてくださるというお話があった。主催者は、地元で自主上映の活動を長年続けていられる田辺浩三氏で、希望する上映作品を問われて真っ先にあげたのが『地の群れ』であった。その年の4月30日、市内のあたご劇場において行われた「大塚和祭」には、熊井啓監督とえるふプロダクションの取締役武田靖氏もぼくにご同行くださり、上映会は成功裏に終えることができた。翌年再び田辺氏によって黒木和雄監督の出席のもとに第2回が開催されたが、この「大塚和祭」については項を改めてまた書きたい。
熊井啓監督と父とは約40年にわたる交流のなかで、この『地の群れ』(1970年)のほかに2本、合計3本の映画を一緒に創った。最初の作品は1965年の日活作品『日本列島』で、2作目が『地の群れ』。そして3作目は父の遺作ともなった1986年の『海と毒薬』(「海と毒薬」製作委員会)である。熊井監督は、大塚和さんと「たてた企画は20本は超えるだろう」と著書「映画と深い河」(近代文藝社 1996年)のなかで書かれているが、父とはそのうち3本しか実現しなかったことになる。しかし、一本の映画が生れるまでにはその過程でもう一本別の映画が出来るほどドラマティックで面白い話がある場合も多い。父は製作日誌などじつに簡単なメモしか残さなかったが、幸い熊井監督は何冊もの著書のなかで克明な記録を残されているので、それらの貴重なご本も参考にさせて頂きながら、大塚和と熊井啓の残した3本の映画について、この項で少しずつ書いていきたいと思う。次回は、熊井啓監督と父の出会いについてご紹介する。(大塚 汎)